Having thought about Android

Androidは魅力的だと思う。だがコアがLinuxというのはどうも納得がいかない。特に、組み込みに使うとなると。がしかし、技術的に優れているものが、常に、世の主流とはならないことは、何度も経験している。
私が初めてOSと呼ぶものに出会ったのは、CP/Mだ。これは、BIOSと呼ばれる部分と、BDOSと呼ばれる部分から構成されていて、このBIOSを変更すれば、CPUが8080あるいは、Z80である限り、大抵のハードウェアに見事に移植できた。現在のPCのBIOSの原点である。このBIOSソースコードを見た時、実に匠に良くできていて、感動した事を覚えている。その後、CPUが16ビット化した時、CP/M86が登場した。と同時に、MS-DOSが登場した。初期のMS-DOSは、まさに、CP/Mの模造品であり、そんなに良いものには見えなかった。私はてっきり、次の主流は、CP/M86だと信じて疑わなかった。現に、その後、コンカレントCP/Mどか、CDOSとか、おもしろいものが次々と出ていた。がしかし、私の予想は全く外れ、結局、MS-DOSとなった。その後の流れは皆さんご存知の通りである。CP/Mの作者は事故で亡くなってしまい。MS-DOSの作者は大金持ちとなり、今も生きている。
また、その後に出会ったOS-9にも魅了された。OS-9は、UNIXよりも、MS-DOSよりも優れていて、かつエレガント、だが結局、これも世の主流とはならなかった、つい最近までは一部の熱心な支持者により、SHと組み合わせて、カーナビのOSに使われていたが、これも今は、Windows CEに置き換えられている。そう考えると、納得のいかないものでも、やがて、良いものに化けてしまう可能性が常にある。もっと頭を柔軟ししなければと思うこの頃である。最近の風潮では、OSは何でもよい、主はサービスだと言われている。物造りに拘りを感じていた世代としては、少々寂しい思いを感じる。だがそう感傷に浸っている場合ではない。
Hiroyuki Shimizu/CodeGear,Inc.